vidary: avril 2008アーカイブ



最寄りのJRの駅に、ずっと前から設置されている不思議な表示装置。数年前に駅の改修工事が行われて、電車の発車時刻等がLEDパネルで表示されるようになったにもかかわらず、未だに撤去されずに残っている。

今日あらためて、この装置の背面に貼られているプレートを見ると、「列車接近表示器」と書かれている。メーカーは「交通システム株式会社」とのこと。私は鉄道マニアではないので、詳しいことはわからないが、察するにホームに駅員が立って電車発着時の安全確認をしていた時代の名残なのだろう。

リニューアル工事が行われてからは、朝のラッシュ時でも、ホームに駅員の姿を見かけることはない。昔の駅員の詰め所も今ではもぬけの殻である。それにもかかわらず、この装置だけは、今でも電車が接近すると点滅を繰り返し、「キンコン」という音を出す。なにかとてもレトロな雰囲気である。表示内容も、ホームの両側それぞれに対応して「上」と「下」の二種類でこれまたミニマルだ。

隣の駅では、駅舎の改修が行われた時に駅員の詰め所とともに、この装置も撤去されてしまった。そういう意味では、今となっては珍しい代物なのかもしれない。もはや不要となったものを撤去しないという不作為により本来の機能を失いながら動作し続けるこの装置も、一種の「トマソン」と言うことができるのではないか。


吉祥寺の横丁を曲がると、午前中の日射しが真横から射した建物の表面に地名と番地の一部がエンボスとなって残っていた。街で良く見かける焼付け鉄板の住所プレートが剥がれ落ちた後に、それが取り付けられていた外壁の吹き付け塗料の凹凸として、その痕跡をとどめたのだろう。ベージュ色の壁には青い落書きがあり、それが「寺本町」と読める文字と重なり合っている。

何となく、昔はやった「超芸術トマソン」という言葉を思い出した。もっともこれは、超芸術というほど大仰なものではなく、普段なら誰も気にしない程度の壁のでこぼこだ。たまたま光線の具合で、それが浮き上がって見え、その場所を通りかかった暇人の私が、酔狂にも携帯のローレゾカメラで動画撮影したというだけのことである。

しかし、本来何らかの意図に基づいて設置されたものが、もはやその必要性を失ってしまった後も、何らかの形でその痕跡を留め、それを見る側が、それが本来有していたのとは、微妙に異なる意味をそこに見いだすという局面において、これもまたトマソンの一種なのだろう。機能的には無意味と化した何物かが、それでもなお別の意味を持つというのは、意味という言葉の根源にかかわる問題なのかもしれない。学生時代に読んだジーン・ブロッカーの「無意味の意味」という本のタイトルを思い出した。
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